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フリーダムな半生を楽しむ

私が初めて不登校になったのは、小学校3年生の時です。

自分の子供が不登校になった時、行きたくない原因を探し出し、それを解消しさえすれば再び学校に行くようになる、と考える親は多いかと思います。自分の経験から言えば、学校に行かないことに明確な理由というものはありません。仮に子供が理由を言ったとしても、促されてやむなくもっともらしいことを言ったにすぎない可能性もあるのです。学業や人間関係など、学校が苦痛な要因は様々で、その蓄積が本人のキャパシティを超え、些細なきっかけで噴出するのだと思います。私の場合、そのきっかけは、町内会主催の運動会があった日曜の次の日の月曜日でした。

「やりたくもないイベントに参加させられて休日が潰された挙句(ちなみに当時はまだ土曜が休みではなかった)、学校行事ではないために振替休日もないのは理不尽である」という、まったくもって万人が納得せざるをえない、どう考えても異論のはさむ余地のない至極真っ当な理由で学校に行きたくなくなった私は、朝、学校に行くふりをして、家の裏手にある林に放課後まで隠れることにしました。学校をサボることにまんまと成功し、癖になった私はこの後、このミッションを数回繰り返すことになります。当時は携帯ゲーム機もスマホもない時代でしたから、林の中は退屈といえば退屈で、高い所に登った挙句に落っこちて足をざっくり切ってしまい、家に戻ることも学校に行くこともできず、不衛生な林の中で傷をさらしながら、放課後までジッとしているという試練に耐えたこともありました。

そうした潜伏生活も最終的には親にバレ、いくつかのゴタゴタの後、私は不登校になりました。

学校に行きたい。行かなくてはいけない。でもどうしても行くことができない。そんな事実に苦悩する毎日。

などという事はなく、学校に行かなくてもよいフリーダムな日々を毎日楽しんでいました。

それでも何かしら思う所があったのか、4年の中盤、学校に復帰することとなります。しかし学校嫌いは相変わらずのため、授業は休みがちになり、結局、中学2年の時に再び不登校になりました。中学の不登校時代は、母親が不登校児を抱える親達の互助会に参加していたため、同じ不登校の友人達も出来、輪をかけてフリーダムな日々を楽しむ毎日でした。

その後、一応中学を卒業した私は、通信制の高校に入学します。しかしここでも、月一回のスクーリングすら行きたくないという腐れ根性っぷりを発揮し、早々に行かなくなってしまいます。本当に一瞬だけの高校在籍でした。そして、「これからはフリーターでいく」などと、世間の好景気も手伝ってか相変わらず世の中ナメくさっていたわけなんですけれども、最初にやった短期バイトでちょっとした挫折を味わいます。職場で周りの大人達に上手く馴染めない、大人らしい振る舞いができないということに悩んだわけです。いま考えれば、17歳の子どもなのだから当然とも思えるのですが、当時の自分には、「学が無い」、「集団生活を学んでいない」、といったことが重い現実としてのしかかってきていました。

働くことが怖くなった私は、次のバイトを探すこともせず、フラフラと毎日を過ごすようになり、ニート状態となっていきます。20代は、働くといえば年に一、二度短期バイトに行くぐらいでした。ただ、私の場合、引きこもりになることはありませんでした。自動車免許も取得し、好きな時に好きな所へ出かけていました。いわば三度目のフリーダム人生を楽しんでいたわけです。なぜ引きこもらずにすんだかといえば、共働きの両親に代わって家事、雑事をやるという自分のポジションが、家の中にあったことが大きかったように思います。もっとも、そこに安住してしまっていたのは良し悪しでしょうが。

31歳のある日、ネットサーフィンをしていると、とあるページにたどり着きました。最低偏差値高校のごくごく簡単な入試問題を紹介して、その低レベルっぷりを揶揄しようという悪趣味なコンテンツだったのですが、ふと、何を思ったかその入試問題を解いてみようという気になりました。まあこれぐらいの問題(確か因数分解だったと思う)なら解けるだろうとタカをくくった私は、その0.4秒後に返り討ちに会うわけです。いやもう全然わからない。改めて自分の学の無さに辟易した私は、ひまにまかせて中学校数学を一から勉強しはじめました。

やってみればそれなりに楽しいもので、案外勉強は順調に進んでいきました。高校数学まで進めて、せっかくなら高卒認定を取ろうという気になり、他の教科の勉強も始め、なんとか一発で高認資格を取得することが出来たのです。

高認試験は、他の資格試験のように「振るい落とすための試験」ではなく、「合格させるための試験」です(って誰かが言ってました)。従って、実の所は楽勝で合格できてしまうのですが、一般の人からは「独力で高校三年分の学力を身につけた人」とみなされ、「すごーい!(社交辞令)」とか言ってもらえるおいしい資格なのです。実際、私は言われました。

――さておき。

高認取得後の事は何も考えていなかったのですが、両親に「大学に行くなら学費は出してやる」と言われ、何をトチ狂ったかそのまま成り行きで大学受験を決意しました。

大学全入時代とはありがたいもので、定員割れの私大が乱立する現状、学の無い30代の私にも大学に入るチャンスがありました。半年間の受験勉強の後、ギリギリ定員割れしていない、ある地方私大に一般入試で合格することができました。自分より一回り以上若い人達の中に入っていくのは、かなり不安でしたが、入ってみれば大学には存外色んな人がいて、自分より年上の社会人学生の人がいたり、現役世代の人達とも普通に友人関係を結ぶことができました。学業の方も、自分が学びたかったことを(極めてニッチな分野であるにも関わらず)ドンピシャで専門にしている教授がおられ、かなり満足のいく研究を果たすことができました。いま思い出しても、(もしかしたら現役の学生以上に)極めて充実した大学生活だったように思います。

そんな大学生活にも、私にとって一つ大きな問題がありました。3年後期から始まった就職活動です。

一般入試の学生ですから、私も一応新卒の就活生ということになります。が、しかしてその実体は、紛う方なき30後半のおっさんなわけです。理屈の上では新卒でエントリーできるとしても、実際の就活の場で、いたたまれない気持ちになりながらやっていく自信がありませんでした。

さらに決定的だったのは、大学が実施した就活ガイダンスでの出来事です。そこで就職希望の登録用紙が配られ、記入を求められました。その用紙の生年月日記入欄には

「H 年 月 日」

と印刷されていました。お分かりでしょうか? つまり、生年は平成何年生まれかを書けというわけです。もうこの時点で私はアウトなわけです。だって昭和生まれだし。この件で完全に心を折られた私は、登録用紙を提出せず、何ら就職活動をすることもないまま大学を卒業しました。

そして現在、私はNPO法人による自立支援を受けながら、ある資格取得のため、別の通信制大学に入って学びつつ、「働くのウゼェ」とか言いながら、今後の身の振り方を考えています。

以上、私の体験談が、不登校あるいはニート、引きこもりの状態にある方、もしくはそのご家族の方にとって何らかの参考、一助になればと思い、長々と述べて参りました。振り返ってみれば、良くも悪くも人生の転機は、本当に些細なきっかけによるものでした。しかしその実、それが訪れるまでの思考心境は、様々に変化を繰り返しています。引きこもりで毎日無為な日々を過ごしているように見える人でも、その内側では少しずつ前進しているのではないかと、私は思います。来るべき時が来るまで時間はかかるかもしれませんが、気長に待ちつつ、皆様の心が日々軽やかにあるよう祈っています。

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