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『まぁ、なんとかなるやろー!』で行ってみよう!

僕が中学二年の時のことです。

何かのテストの時(期末テスト?)に急に気分が悪くなって保健室に行きました。
その後、保健室でゆっくりしたあとまた教室に戻りましたが、また気分が悪くなり結局早退をしました。

それから教室には入れなくなりました。

未だに何故かはわかりませんが吐き気が止まらなくなってしまって、居ても立ってもいられない状態になるのです。
それから不登校を1、2ヶ月したあと、保健室登校をしました。

今考えると本当に贅沢なこと、ありがたいことだと思いますが担任の先生や保健室の先生が車で送り迎えをしてもらって登校していました。正直それでもしんどかったんですがなんとか保健室で数時間かいて、帰るというのを繰り返していました。

教室に入る訓練もしました。
それは僕がなるべく緊張せず入れるように配慮してもらった結果なのですが、それははたから見るとちょっとおかしな状況だったかもしれません。
まず教室の後ろのドアから僕がそろーり入ります。
その際に一切僕の方を見ないということにしてもらいました。
そのあとしんどくなったらまたそろーり出て行くという、この一連の流れで訓練をしました。
たぶん、心のなかでは「あっ来た来たー」という感じだったと思いますが何事もないかのように振る舞ってくれて感謝というか・・・その当時はちょっと、いやかなり恥ずかしい気がしました。
でも先生方と生徒みんなが協力してくれてくれて、今思い返すと感謝しかありません。

そんなこんなで中学を卒業して、通信制の高校に行きました。
その高校は基本しんどい僕を中学の時と同じくいろんなケアしてくれて、とても行きやすかったです。
個性的な先生達がいて、よく面白い話をしてくれて楽しかったです。
でもそういうなかでも、本当に心を開いて元気になっていったかというとそうではなかったと思います。
恐らく先生はどういうふうに接したらいいんだろうか?と思っていたんじゃないかと思います。

その高校を卒業をしたのですが、まだ社会に出るには不安があり過ぎたのでその高校のOBコースというのに入って、
パソコンのソフトのワード、エクセル、アクセスの勉強をやりました。
そこでは基本MOSという資格を取得するために勉強をやっていましたが、僕は試験に行くのもしんどかったので取りませんでした。
そのOBコースの勉強もやり終わりましたが、まだ社会に出る勇気が出ず、OBコースの延長として勉強はしませんでしたが通っていました。

でもとうとう、何もやっていないのに月謝を払っているこの状況に親への罪悪感が出てきて、もう通うのをやめました。
といっても、まだ社会に出て働く気がなくて、引きこもり生活の始まりです。

初めは「自分はこんなところで何をやっているんだ」「何かしなければ」と焦りだったり、使える時間がいっぱいあったりしたので、OBコースでやったMOSの資格だったり、
U-CANでファイナンシャルプランナーの資格を取得しました。
あとWEBアプリを作ったら引きこもりでもちゃんとした生活ができるかもしれないと思って、C言語やRUBYというプログラム言語を独学で勉強したりしました。

でも、いつしかそんな焦りもどこへやらで、料理にハマっていろんなものを作ったり、仏教にハマって本を読みあさったり、趣味のギターにのめり込んだりとかなり有意義な生活に勤しんでいました。
ただひとつ言うとその時期は全くお金を稼いでなかったということはありません。
親の友達の会社からパソコンを使った在宅でできるデータ入力の仕事を時々(数ヶ月に1回)もらっていたので、それらのハマっていることのお金はそこで稼いだお金を使っていたので親への罪悪感はほとんどない状態だったということもあるのです。

でもこんな楽しい生活も終わりの時が来ました。
兄があるとき僕の部屋へ入ってきました。
あれは夜中の午前0時でした。
兄が「ちょっといいか?」と聞いてきました。
「よくなかったら出て行ってくれるのかな?」と思いましたが「何?」と返しました。
それから長い2時間が始まりました。こんこんと諭されました。
内容を省略すると、
「もうお前も30過ぎただろ。このまま行ったら40,50もすぐ来るぞ。明日ハローワーク行ってこい。明日だ。もうお前には時間がない。」
ということでした。
僕にとって兄は前々から怖い存在でどうにも逆らえないのです。
「1週間後じゃだめですか?」の問いに「ダメだ、明日行って来い」でしぶしぶ行くことになりました。
行きはしましたが、やっぱりどうも働く気にはなりませんでした。
でも何かないかという時に父が「市のほうで何かそういう支援をしてくれるところがあるんじゃないか?」とのことでネットで調べて
そういう2つの施設に行ってみました。

その1つのNPO法人の施設に通うようになって、PHPというプログラミング言語を学び、WEB製作の仕事をもらって、給料をいただいたりしました。
ただなにより良かったのは、同じような体験をしてきた仲間と色んな話しをして共感できたことが良かったと思います。
僕だけじゃないんだという安心感がとても心地良かったです。

僕は今はその施設から紹介された酒店で働いています。
酒店といっても、ネットショッピングに商品登録したり、注文があったら送り状を出したりする仕事で基本パソコンを使った仕事なので
やっていることは変わらなくて、とてもやりやすいです。
いつまでこの仕事をするかはわかりませんが今はとても良い感じで人生が進んでいる感じがします。

僕から言えることは人生は何があるかわかりませんので、何かしら生きていたら風向きが変わることがあるということです。
その日その日、騙し騙し生きていることも良いことです。
「まぁ、なんとかなるやろー!」みたいな感じで日々過ごしていたら良いと思います。
本当になんとかなりますから。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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